「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。在校生の皆さん始めまして。」この書き出しで、一年前始まったこの『風のように雲のように』。もう一年たったのですね。これを入学式でもらった人はもう2回生。新しい1回生を迎えることになりました。時のたつのは早いものです。
さて、新入生にこのコラムの目的を少しだけ語ります。
このコラムは「言葉を大切にしていこう」いうコンセプトで毎号書いています。言葉には不思議な魔法の力が秘められていると思います。ここではこの魔力を私なりの解釈で書いています。
さあ、皆さんも一緒に言葉の魔力を感じてみませんか…
「必要とされていない人は一人としていない。」
人として生きていく中で誰しもが一度は「私は本当に必要とされているのだろうか」と感じることがあると思います。クラブなどでレギュラーになれなかったとき、がんばってきたことに自分だけ名前が呼ばれなかったとき……本当に「『必要ない』んだ、どうでもいいんだ。」という空虚感におそわれます。かくゆう私もいろいろな場面で必要ないんだのかと思わされたことがありました。思い出したくないので書きませんが。\
さて、ではなぜ人は必要とされたがるのでしょうか。
それは自分がやってきたことを認めて欲しい、一人になりたくないという気持ちが出てくるからだと思います。一生懸命がんばってきたのにどうして認めてくれないのだろうか。なにか認められず、疎外された感じがする。この気持ちが人に必要とされたいと強く思わせるのです。これが悪いとはいいません。誰もが感じる人間の本能みたいなものですから。
ですが、よく考えてみてください。本当に疎外されているのでしょうか。確かにがんばりが気づかれないこともあります。でもそれに向かって一生懸命やったという自分自身は確かに存在するのではないでしょうか。誰かがこういったのを記憶しています。(有名なので皆さんもう知っているとは思いますが)「誰にも認められなかったら自分が認めたらいい。」ありふれてはいますが、そう思いませんか。自分すらも自分を認めなかったら本当に今までがんばってきたことが無に帰してしまいます。もし自分で認めがんばりを続けていけば、誰かがそれをちゃんとみています。
そして忘れてはいけないのは、人は一人ではないということです。人一人、生きていくにもいろいろな人の影響があります。それらが絡み合って人間が作られていくのです。もちろんその中には私もいます。そして、皆さんもいるのです。そう、人は誰一人として必要ないなんて人はいないのです。
それでは最後に、この言葉を書いて終わりにします。
「人間はどう言おうと関わりあって生きる存在です。どんなにあなたがそれを拒んだとしても」