エッセイ

蝶はモグラではない。でも、そのことを残念がる蝶はいないだろう

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毎日毎日暑かったあの日々が過ぎ去り、夜には虫の声が聞こえてくる今日この頃。皆さんはいかがお過ごしですか。
 と、これを書いているときに飛び込んできたニュースで、アメリカがすごいことになっているのを知りました。言い方は悪いかも知れないですか、映画かなんかを見ているみたいでした。ジェット機がビルに突っ込んでいく。「戦争」という言葉が目の前に重くのしかかり、平和は長くは続かないということが現実になりました。一体この先どうなるんでしょうか。

「蝶はモグラではない。でも、そのことを残念がる蝶はいないだろう。」

 あまり知られていないようですがアインシュタインはいろいろな名言を残しています。
 彼は1879年にドイツで生まれ、1900年にチューリッヒの連邦大学を卒業、その後アメリカに移り1955年に死ぬまでに数々の功績を残しました。その中でも特に有名なのは「一般相対性理論」「特殊相対性理論」です。名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。

 さて今回はそんな彼が言った言葉からです。

 誰だって「あんな人になりたい。」と自分とは違う人に憧れを感じることがあります。でもそれが憧れを通り過ぎて、「こんな人に生まれてきたらよかったのに、どうして私はこんなんだろう。」と自分を卑下する考え方にいたってしまうことがありませんか。社会という世界を構成している限り、人は必ず他人とのかかわりを持って生活していきます。そのかかわりは断つことは叶いません。ですから憧れは誰だって持ちます。完璧な人はいないのですから。ですが人と比較して自分を卑下することはどうでしょうか。人間誰だって欠点、汚点、人よりは優れていない面があります。かのアインシュタインだって、研究の初めのほうは失敗ばかりしていたのですから。あの素晴らしい理論を打ち立てた人でさえもです。人よりも優れていない。そのことはそんなにも悪いことなのでしょうか。
 人間ほど他人の目を気にし、他人になろうとし、なれないと悔やみ卑下する生物はいません。空を飛ぶ蝶は、他のものになろうとはしません。確かに擬態という性質を持つものもいます。それは他に化け少しでも長く生きるという、生きていく過程で手にいれた身を守る方法です。いわばそのことも含めて彼女らなのです。しかも蝶は、その擬態をもとことを悔やんだりはしていません。むしろ有効に使っています。その擬態を使って他の動物から身を守っているのです。しかし悔やみ自分を卑下している人間はどうでしょう。自分という者を有効に使っているでしょうか。私はそうは思いません。卑下している者はせっかく与えられた才能を溺れさせているのではないでしょうか。他人には持っていない、自分にしかない才能を封印するのはもったいないと思います。

 私は私であってそれ以上でもそれ以下でもない。そう思えれば自分の新しい一面を発見することもできるかもしれません。自分をもっといいものだと思ってみませんか。蝶のように綺麗な羽根を持って自由に大空を羽ばたけるように。
 自分をもっといいものだと思ってみませんか。蝶のように綺麗な羽根を持って自由に大空を羽ばたけるように。